壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

~20年連続富士山登山~ Vol.07

 
 
~20年連続富士山登山~ Vol.07
 
 
 
布団に入って暫くすると山頂御来光に向かう登山者がごそごそと起き出した。
こうなると残念だが眠れなくなる。しかしこれも計算のうちなので布団の中でじっとしている。
 
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この騒々しさは2時過ぎには一段落する。
そこから御来光の時間までの3時間弱が俺の睡眠時間となる。
 
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山頂御来光の登山者が出切ると嘘のように山小屋の寝床はガラガラになる。
すかさずその空いた寝床に移動すれば一人で布団三枚でも五枚でも使って
大の字で寝ても余りある極楽の寝床で熟睡出来るのだ。

睡眠不足など無縁の眠りが待っている。
じっと騒々しさが通り過ぎるのを待つ。2時過ぎにやはり静けさが戻ってきた。

寝床は移動しなくても十分なスペースが今日はあった。

よし寝るかと眠る気満々で布団の中でじっと睡眠におちるのを待つ。
たが今日は眠気が訪れない。30分経っても1時間経っても、1時間半経っても…。

結局そのままの状態で朝を迎えることとなった。横で眠るなべが羨ましかった。
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御来光の30分前になると山小屋の戦友は俺の足を揺すって起こしてくれる。
これは何も言わなくても毎年恒例となっているのだ。

睡魔に全く襲われていない俺は戦友が近付く気配さえ感じ、
足を揺する前に『もう御来光っすか』と声を掛けた。

『4時45分だよ』

さあさあ一睡も出来なかった俺は今日一日の行動に大きな不安を抱えながら起き上がった。

羨ましい事になべはまだ寝ている。

すでに外は明るくなり始めている。
何人かの登山者は江戸屋の前に座り込んでご来光を待ちわびている。

今日は雲も少なく良い御来光が拝めそうだ。

カメラと三脚を寝床から引っ張り出し、撮影ポイントに移動して三脚をセットする。
足元は溶岩がゴロゴロしているのでなかなか水平を見つけられない。
そうこうしている間に辺りはかなり明るくなり始めた。

時間がないので三脚は諦め手持ち撮影に切り替えた。

随分明るいから三脚なしでもシャッタースピードは落ちないとの判断のもとに
御来光前の風景から御来光後10分弱シャッターを切っていた。
 
 
 
 
 
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神々しい御来光ショーは15分程で終了し、
いつもの朝の明るさになった。
この15分に大きな期待をして富士山に足を運ぶ。
大多数の登山者も同様だろう。今日の御来光は相当美しい御来光であった。
10回来ても2、3回しかお目にかかれない御来光だ。

山開き中の7月1日から8月31日までの期間で御来光自体お目にかかれる確率は50%ないと思う。
例年7月下旬までは梅雨の影響で御来光確率は低い、
梅雨明け後も曇りや雨の日は見れない。
御来光確率が高いのは8月中旬から下旬にかけてだと俺は思う。

今日は運良く御来光がしっかり拝めた。非常に嬉しい。


御来光ショーが終わると登山者は山小屋を後にして山頂を目指して出発していった。
 
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山小屋内は一気に人が減り数人の高山病の登山者が残っているだけであった。
居残りの登山者の同行者は山頂へすでに出発していて同行者が
山頂から戻って来るまで休んでいる。

ここ『須走口江戸屋』は登山道、下山道共に小屋の前を通るので
ギブアップした登山者はそのまま休んでいれば下山してきた同行者と落ち合える。

実は登山道、下山道共に同じ山小屋近辺を通る山小屋は少ない。

須走口登山道であれば『須走口江戸屋』と『胸突八丁江戸屋』のみだ。
河口湖口登山道では『胸突八丁江戸屋』しかない。


ここで一つ富士山登山の豆知識を…

富士山には登山道と下山道がある。ところどころ登山道と下山道が共有されていると
ころもあるが殆どが別々だ。

車の車道のように登山道、下山道が隣あっていれば、

『もう体力の限界』

『高山病でこれ以上は無理』

『ここまで登ったから満足』

といった時は簡単にUターン出来るが富士山登山ではそれができない。
何故出来ないかというと登山道と下山道がすぐ横を通っていないからだ。

禁止されているわけではないが登山途中に限界に達した場合、
登山道を逆戻りすることは非常に困難である。
沢山の登山者が次から次に登ってくる隙間を縫って下山は危険そのものだ。

【河口湖口編】
河口湖口から登山の場合は元祖室まで上がり静岡県側に抜ける道があるので
そこをトラバースし須走口江戸屋の前から河口湖口下山道に下りるか、
本八合目の胸突八丁江戸屋前を抜けて下山道に入るかしかない。

富士宮口編】
登山道、下山道共に同じ道を使用するため、限界に達したらそのままUターンしてGO!



多くの宿泊者は既に山小屋から去り、閑散とした山小屋となった。
 
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それでも時刻は6時前である。

山小屋に戻るとそのまま寝床へ。

これから8時まで寝る。

(山小屋のチャックアウト時間は8時、それ以上の滞在は30分後毎に1000円追加が相場。)

夜は一睡も出来なかったのでここで睡眠を稼ぐ。
だがしかし、ここでの2時間も睡眠に落ちていかない。

結局、一睡もせずに8時に山頂アタックの準備を進める。
とは言っても『須走口江戸屋』は河口湖口、須走口どちらの登山者も
必ず下山時、ここ『須走口江戸屋』の前を通るので

【※ここが ↓ ポイント】

荷物は山小屋に預け山頂に向かう。
(江戸屋の荷物預け代金は500円)

これだけで相当のアドバンテージだ。
今回はカメラ、財布、携行食料、カップラーメン、コーヒー(インスタント)のみを
ザックから抜き出し山頂へ向かう。

ザックの重さは12kgほどあったが、これだけの持ち出しなので
首から掛けたカメラ以外は1kgにも満たない。

しかもそれらはナベに運んでもらう。

これも毎年一緒だ。

ナベにカップラーメン、携行食料、コーヒーそれに財布までも運んでもらう。
なべはそれプラス、バーナー、ガス、水(1リットル)などを運ぶ。
まぁそれでもだいぶ軽くなっている。

登山時の八合目から山頂、お鉢めぐり、下山時の頂上から八合目を
ほぼ手ぶらで行動できるのは他の登山者には悪いが超楽である。
超超楽である。

荷物を預けて同じような行動を取れる山小屋は
無駄なく出来るのは『胸突八丁江戸屋』『本八合目トモエ』
ちょっと頑張って『富士山ホテル』といったところだ。

本当に楽なのでいつの日か富士山登山に行かれる方は
是非頭に入れておいて欲しい。


8時過ぎに『須走口江戸屋』を出発する。
本来なら須走口を富士山山頂に向かうのだが、
我々はあえて河口湖口登山道に出る。

【ここが ↓ ポイント】

『須走口江戸屋』から北方向に100メートルも進めば
河口湖口の登山道にちょうど『元祖室』の前で合流する。

元祖室は富士講信仰者には聖地のような山小屋だ。
未だに白装束の富士講登山者が富士山を訪れているが、
登山者は元祖室に宿泊する。

食行身禄といえば聞き覚えのある方もいるかもしれない。


詳しくは新田次郎の≪富士に死す≫を読んでもらいたい。
この本を読んだ人がこの元祖室の前に来た時、
全く他の登山者とは違った感情が湧いてくるはずだ。

因みに最近俺と富士山を登るものには課題図書として必ず
新田次郎の≪富士に死す≫を読んでから富士山登山にのぞませている。
この場所(元祖室)で感じてもらいたいからだ。


烏帽子岩を拝みながら食行身禄を想う。
 
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しばらくして山頂に向かい『元祖室』をあとにした
 
 
 
Vol.8へ続く・・・