壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

漢の富士登山道~珍道中~ ≪第8回≫

当時、山小屋の経営は殆ど富士吉田市や、河口湖町御殿場市などで旅館業やホテル業を営んでいる人達が行なっていた。
私の働いていた山小屋も御殿場市で旅館を経営していた。同系列で山小屋を2つ経営しているしているなんてのもザラであった。

隣り合わせる山小屋どうしの交流なんかも比較的頻繁に行なわれ、どこの山小屋の誰々は可愛いだの、カッコいいだの噂話は暇な日の時間潰しにはもってこいだった。

長い人だと6月中旬から9月中旬まで山小屋に篭る。その間下界(五合目以下)での情報からは殆ど遮断され、お客が忘れていったり、置き捨てていった新聞や、雑誌は皆こぞって奪い合ったものだ。

そういう情報が極めて少ない状況下ではなぜか山小屋で働く人の情報は驚くほど細かく伝わる。
当然私のことも多かれ少なかれ情報として他の山小屋にも広まっていた。
どうやらこのように広まっていたようだ。

『 体育会系部活動所属 ごつい パワー 気合 ・・・ 』

暇を見つけては八合目の山小屋から登山道を頂上まで駆け上がり、下山道を砂煙り上げて駆け下りる何てことしていたので走っている私の姿は異様にみえていたのだろう。20数分で往復していた。

確かに当時の私は大学でサッカーを続けており富士山は私のトレーニング施設としては万全であった。標高3400mの高地トレーニングによる心肺機能の向上や、殊に下半身強化には適していた。
富士山のアルバイトを選んだのも9月から始まる秋のリーグ戦に向けての体力UPが目的であった。漠然と富士山に憧れはあったがそれよりも一番体を鍛えられるアルバイトを探し働いていた。


そんなこともあり『奴ならできる』と何処かの誰かが勝手に見込んでくれたようだ。
ゆっくり眠り続ける事が出来なかったのはその為であった。            次回へ続く・・・