壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

富士山登山2007 ~馬返しからの挑戦~ 第5回

ようやく八合目に差し掛かかろうとした頃、日没を迎えた。各自用意してきたヘッドライトを装着した。皆のライトはばっちし点灯している。結構楽しそうに点けたり消したりカチャカチャいじっている。初めてヘッドライトの灯を辿っての登山のものもいる。確かにワクワクするのだろう、大昔の私もそうであった。

日が落ちると気温は一気に落ち込む。既に手袋を付けないと寒いし手が凍え、悴む。空はまだ薄っすらオレンジ色を西の空に残している。
我々6人衆の中にも一気に体力的限界に到達し始めたものが出始めた。一番苦しそうなのがここまで大半を最後尾で登坂してきた”お塩な重戦車”だ。重油が切れかかっている。帽子には『 Mitsubishi Agriculture 』耕運機のメーカーキャップである。どこで手に入れたのかそこが知りたかった。

本人曰く『めっちゃレアっすよ』と私にその帽子を自慢げに見せてくれた。確かにレアだけど・・・・リアクション取れず。
”お塩な重戦車”ではなく”お塩な耕運機”であった。精神的には泥濘にはまって動けなくなってしまった三菱製”耕耘機”であった。

高山病の間の手に落ちてしまった唯一の女性登山者は”真っ青”を通り越して血の気が引き”真っ白”である。この先登坂を続けられるのかすら危ぶまれる。

『オヤジ』は苦笑いのような表情だ。完全に引きつった笑顔で哀愁すら感じる。すでに駄目っぽい・・・。

奇声な男にも疲労感がありありだ。何といってもおとなしい。声の張りすらなくなっている。足にも痛みが出てしまったようだ。”ちょっとの痛みを大袈裟に演じるのが得意な一面”が出始めたのか、それとも本当に痛いのか? 購入したNIKEの登山靴が女性用であることが原因なのかも知れない。いずれにしても女性用を購入してしまった男に非はある。

スパイダーな野生山男は・・・笑顔満開だ ♪♪ 腹減って夕飯のカレーを待ち焦がれている。周りのゾンビのようにヘバって飴なり、チョコレートなりを口にする富士山登山者たちに声をかける。

『あまりお菓子とか食べたら夕飯食べれなくなっちゃうよぉ~♪♪』

? ? ? ? ? ちょっと違うのでは ? ? ? ? ? 個人的には大爆笑な発言であった。

だって誰も夕飯のことなんか考えてもいなかった、今どう凌ぐか、どう乗り越えるかただそれしか考えられない状況下であった。流石だ。


八合目の太子館に到着すると日は落ち完全に真っ暗になっていた。



太子館前まで来るといつの間にか富士山登山渋滞はほぼ解消していた。ただ山小屋の前には宿泊客が夕飯の順番待ちをしている。せいぜい20~30人位までしか同時に食事を取ることが出来ないスペースなので今日のように300人近くの宿泊客が押し寄せると夕飯を取るのに2時間待ちなんていうのも実際、私も経験したことがある。

山小屋の中からはおいしそうな匂いが漂ってくる。腹ペコな我々は目をとろぉ~んとさせてしまった。

太子館から次の蓬莱館までの道程は短い。まあ普通に登れば10分、15分なものだろう。
しかしここで大誤算。『オヤジ』、高山病の虜になった女、ジューシーな肉汁染み出るドン児、足が完全に止まる。私の憧れ”石毛宏典選手”が先に行ってしまう!!!
『待ってくれぇ~~~!!!!』心の中で俺は叫ぶ。

暗闇の中に憧れの”石毛宏典選手”が消えていってしまった。
『GOOD BYE 青春!!、 富士山よ 夢を有難うっ!!』
堀内孝雄風に心の中で呟く。
心の中で呟いた堀内孝雄風が妙に似ていて思わず吹き出し笑いしてしまった。周りを見渡す、誰も見ていなかったのでほっとした。


20歳若返った心は、いつの間にか元に戻っていた。儚い『真夏の夜の夢』であった。

頭の中を流れるのは当然、 松任谷由美の名曲 『真夏の夜の夢
『どうして♪ どうして♪ 私達♪ 離れてしまったのだろう♪ あんなに愛してたのにぃ~♪♪♪~』
を勝手に松任谷由美の『真夏の夜の夢』だと思い込み心の中で語りかけるように歌う。

『リフレインが叫んでる』であった・・・。



大ブレーキになった三人は限界であった。きっとゼンマイで動くドナルドダックよりも遅い。八合目の山小屋蓬莱館に付くと私の夢『真夏の夜の夢』を奪った三人衆が遅れて到着する。顔は揃って白くなっている。『オヤジ』を除く2人は富士山登山2回目の参加で既に富士山頂を極めた経験を持ち合わす。が、その経験を持ってしても富士山登山は一筋縄にはいかない。ここも富士山登山の面白さの一つだ。自分の限界を超えてこそ富士山登山の最終目的地である山頂に立つことが出来る。

自分の限界の壁を越えて来い!! オヤジ!  
西暦574年にこの世に生を受けた『聖徳太子』オヤジも知っているだろ!! この方こそが富士山に初めて登った人だという言い伝えが残っている。その名残でさっき通り過ぎた『八合目太子館』という名前の山小屋が存在するんだぞ。わかったか!!あなたは今あの聖徳太子が歩んだ道を進んでいるんだ。『 吠えろオヤジ!!』 『 燃え上がれオヤジ!!』 地果て海尽きるまで・・・。

自分の限界の壁をぶち壊せ!!! 唯一の女性参加者よ!!
いいか思い出せ!!江戸時代までは富士山は女人禁制の山だったんだぞ!!
登りたくても登れなかった富士山にあなたは挑戦する権利が与えられたんだぞ!! 江戸時代に生きた女性の為にも今あなたは目の前の限界の壁を越えなきゃいかんのだぞぉ!!!!

自分の限界の壁をうっちゃれ!! ジューシー山形”ドン”児よ。
いいか、山形といえばサクランボだろ?一昨年、俺にもくれたろ実家から送ってもらったサクランボ。あのサクランボは美味かったぞ。でも去年はくれなかったよな。残念だったよ俺は。ちょうど俺が会社休みの日に会社の皆にサクランボくばちゃったよな。俺は一粒も食べれなかった。その夜俺は泣いた・・・。また俺にくれないか?山形のサクランボを。『GIVE ME さくらんぼ』 もう一回!! やっぱり富士山には大塚愛の『サクランボ』が良く似合う。


八合目山小屋『蓬莱館』から『白雲荘』までは同じ八合目ではあるが相当遠い。うんざりするほど遠いのだ。遠くに山小屋の光が見える程度である。ここでフォーメーションをチェインジする。TOPを引っ張るのが私、続いて無口な男と化した無鉄砲。ここまでが第一集団。第二集団は山男が頭を引っ張り、後ろを『三人衆』が続く。時は20時を示していた。
第一集団を私が引っ張り登坂開始すると付いてくるのは無鉄砲のみ。体力の差は歴然としていた。小休止を交えながら白雲荘に向う。足を一歩一歩前に出し続けるが一向に八合目の『白雲荘』は近付いて来ない。『白雲荘』から左手に視線を移すと本来通称『亀岩』と呼ばれる丘陵部が目に入ってくる。今は日も暮れ辺りは真っ暗、暗闇の中にボヤっと影が見える程度。この『亀岩』の先に今夜の宿『砂走口江戸屋』がある。そこに到達するには八合目山小屋『白雲荘』を越え、その上の山小屋八合目『元祖室』から稜線を左方面、静岡側まで辿らなければいけない。普通の足では40分ほどだろうか。

白雲荘までの道程は未だに長く遠い。おとなしくなった男の息使いが後ろから聞こえてくる。疲れているようだが離れずに着いて来る。
小休止を交えながら辛うじて『白雲荘』に到着した。20時半近くになっていた。後ろから上がって来ているはずの山男が引っ張る4人衆の姿は全く見えない。すでに富士山登山進行中の人々は殆どいなくなった。しかし見当たらない。全く持って下のほうで燻っているという事だ。しばし上がってくるのを待つ事にする。登山道から少し離れたところで腰を下ろし、ザックも下ろす。

下界から音楽が聞こえてくる。何かステージのようなものが光っている。時々爆発音のような演出の行なわれている。登山中も下界から音楽が聞こえてきていた。ある登山者が『フジロックフェスティバルだよ今日は』と話していた。我々もいつの間にか下界で繰り広げられる『フジロックフェスティバル』の音に聞き耳をたてたりしていた。誰が出ているんだろう?誰が今歌っているんだろう?勝手に想像して話のねたにしていた。いつしか富士山登山者の話題は『フジロックフェスティバル』で持ちきりであった。

怖いものだ完全に我々6人の富士山登山者も『フジロックフェスティバル』ということでこの二日間を過ごした。
が、しかし『フジロックフェスティバル』は7/27,28,29に既に終了している。それも富士山とは程遠い新潟県越後湯沢の『苗場プリンスホテル』近郊で行なわれた後であった。いったい誰が言い始めたのか分からないがこの日の富士山登山者には8/25,26に『フジロックフェスティバル』が富士山麓で行なわれたことになっている。

ではあの音の正体は・・、二日間で4万人を動員したL'Arc~en~Ciel(ラルクアンシェル)の富士急ハイランドコニファーフォレストで行なわれていた野外ライブであった。

携帯電話も繋がらない非情報化社会の富士山では、口コミが唯一の情報伝達手段として猛威を振るう。

 
その時の私たちは下界で繰り広げられる『フジロックフェスティバル』を眺めながら、綺麗にきらめく富士吉田市の夜景をただぼんやりと見つめていた。

                                            次回へ続く・・・