壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

漢の富士登山道~珍道中~ ≪第6回≫

標高1450mの『馬返』を出発したのは12時少し前。ここからは、ようやく一合目を目指しての富士山登山のスタートだ。
勾配もここから急になり始める。一合目までは標準所要時間15分、目と鼻の先のようだ。今までは遊歩道であったが本格的登山道に様変わりしている。道幅も広くなり幅は3m程であろう。

なにか古い石碑が道の両側に建っている。相当古いものも中にはあり石碑に刻まれた文字を読むことも出来ない。かなり風化が進んでいる。
気持ちが凛としてくる。入り口に猿の石像が2体ありいづれも手を合わせた状態である。

いままで自然しか目に入ってこなかったがここではその時間が長かったせいか強い興味を掻き立てられる。

『いつ頃のものなのか』『何の為に造られたのか』『誰が造ったのか』

いずれにしてもここを何百年も前から富士山登山者は通り過ぎていったのかと思うと様々な光景を思い描いてします。

すでに標高は1500mを越えている。ようやく一合目に到着だ。
出発から3時間半、時刻は12時半に到着となっていた。

ここまでの道程を振り返ってみると非常に順調であり、このまま行ければ今日中に山頂に辿り着けそうである。天候も標高が上がるに連れ良化の兆しがあり、この雲を越えればどうやら晴れているようだ。何とか早い時間に6合目の『富士山安全指導センター』合流に辿り着き、いつもの慣れた道でペースを上げ山頂で夕焼けなんか見れたらいいなぁ、なんて考えていた。

流石に馬返(馬はここまでしか登ることが出来なかったので馬返と呼ばれる)だけあり馬返を過ぎると斜面もきつくなり始めた。所々階段状になり、この頃からザックの重みを感じるようになった。

『もう少しザックの中身を減らしていれば・・・』

なんて弱気も覗かせる。

ザックの中身は水類2.5函▲メラ道具(三脚を含む)でかなり重量感を出していた。特に三脚は思いのほか重さがありきつかった。
無駄なものも何故かザックに放り込み無駄に加重していた。

『次からは考えなきゃいけないな』

ザックの肩口へ食い込んでくる辛さとの戦いも幕を開けていた。

しかし、昔の強力なんかの話を聞くと常に30坩幣紊硫戮鯒愽蕕辰堂討世蹐Δ冬だろうが山頂の測候所まで荷揚げを行なっていたのだから大した者だ。
                                  次回へ続く・・・