壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

富士山登山2007 ~馬返しからの挑戦~ 第4回

渋滞に追いつき登坂速度は大幅減になる。団体客ばかりが辺りを取り囲む。

富士山登山の団体客の場合、旅行会社のバッチだけでなく何かしらの目印となる統一した何かグッツを身につけている。我々を取り囲む団体客も全員ピンクの軍手をはめている団体、全員同じキャップを被っている団体、お揃いのバンダナを腕に巻いている団体、ザックに目印となるリボンを付けている団体など様々だ。

我々を取り巻く団体も目印となるベースボールキャップを皆被って登山している。全員のキャップには『気合で御来光』というワッペンが貼られていた。前も後ろも横も皆『気合で御来光』の団体であった。年齢は20代から50代で男女も関係なく『気合で御来光』に参加している。かなり大きな団体である。
今後、我々の6人の小グループはこの巨大な団体『気合で御来光』とほぼ平行して登山を続けることとなった。

我々の仲間も必死にただ必死に富士山登山に邁進している。”お塩”排出していた二人も上着を着込みその幾何学的な異次元模様は封印し、斜度が大きくなってきた登山道に挑んでいる。気が付くとスパイダーマン男、私、無鉄砲者、『オヤジ』、またもや高山病感染と化した女、疲労をもはや隠しきれなくなってしまった男の順で本日の宿泊山小屋『砂走口江戸屋』を目指す。
太陽は富士山の裏側に隠れてしまい、陽射しはなくなってしまった。もう少しすると日が暮れてしまう。陽射しが有る無しと言うものは気分を大きく変えるものである。すでに日が傾き出すと心も沈みがちになってしまう。

そんな頃、私の横に大きな男性がさっきから並んで富士山登山に興じている。私もかなり背は高いほうだが私より大きい。テンションも高い。我々が7合目からそろそろ八合目に到達する頃であった。疲労も蓄積され我々6人衆は何とか渋滞しながら登るスピードに付いて行くのがやっとの状態だ。しかし、その大柄の男の人は元気一杯であった。声には聞き覚えがある。

ふと横顔を覗き込む、いったいどんな人なんだろう。ちらっ!!


全身鳥肌モンだった!!!!!!!!!!


頭の中をあの曲が流れ出す、松崎しげるの名曲「地平を駆ける獅子を見た」だ!

『うぉ、うぉ、うぉっ  ラァ~イオ~ンズ ラァ~イオ~ンズ ラァ~イオ~ンズ』

続いて少年時代の西武球場のアナウンスが聞こえてくる・・・、

『一番、サード 石毛』『二番 ライト 平野』『三番 センター 秋山』『四番 ファースト 清原』『五番 指名打者 バークレオ
『六番 レフト 安部』『七番 キャッチャー 伊東』『八番 ショート 田辺』『九番 セカンド 辻』

うおおおおぉぉぉぉぉぉ~!!!!!    

最高に強かった伝説の打線『西武ライオンズ』の最も熱かった打線!
投手といえば『東尾、工藤、渡辺、森山、郭、松沼・・・』そうそう足るメンバー!!

そんな西武の全盛期を支えたチームリーダー”男”石毛宏典ではないか!!

1980年ドラフト会議の記憶がパンチョ伊東の声で
『 西武ライオンズ 第一回希望選手 イシゲヒロミチ プリンスホテル 野手 23歳 』
と、蘇ってきたりもした。

私は埼玉で育った。当然西武ライオンズファンだった。毎日、埼玉テレビで西武の試合を観戦し、応援していた。何度かライオンズ球場にも足を運んだ。ブラウン管の中のスターが俺と並んで富士山登山しているである!!

神だ!! 間違いない神が富士山にはやはり居るのだ!!!!
その時、神の存在を身近に感じた。。。

ドッキ!! ドキッ!!!、横には今も 「石毛宏典」本人が笑顔で登っている。

小声で山男にも石毛選手の存在を耳打ちする

私       『ちょっと、ちょっと石毛選手だよ!!』
山男      『えっ? 誰っすか???』
(私の心の声) 『なにっ!!!!、石毛選手も知らんのか!!!!馬鹿モンが!!!!この素人が!!!!出て行けぇ!!!!』
私       『知らんのか? ふぅ~』
山男      『すみません、知りません』



私はドキドキしながら思い切って憧れの”石毛宏典選手に”声をかける。大きな声で

私   『石毛選手!! 写真撮らせて下さい!!!』
石毛選手『うおいぃす!!!!!!』
私   『ハイチーズ!!パシッ!!  ありがとうございます。富士登山頑張ってください!!』
石毛選手『うおいぃす!!!!!』

私は感動で震えていた。



不思議なもんです、今までの富士山登山の疲れはまるでなくなっていた。私の心は20年前の少年時代へ逆戻りしていた。






                                          次回へ続く・・・