続・寛永通宝
続・寛永通宝
古いものだと383年前、新しいものでも151年前という歴史を持つ。
改めて、手元の寛永通寶を見てみると、
ハの字の寛永通寶はこんな感じになっているのだそうだ。
1636年~1667年に鋳造されているので383年前から352年前のものだということだ。
徳川三代将軍家光から、徳川四代将軍家綱の時代の寛永通寶ということになる。
少し、時代背景が見えてきた。
じゃあ、383年前から352年前に富士山に登った人が落とした寛永通寶なのかというと多分違う。
富士宮口の直ぐ傍には宝永火口が今でも大きな噴火口を残しているのだが、この宝永火口が出来た『宝永の大噴火』は1707年に起きている。
この噴火で富士宮登山道周辺は50~100cmの火山噴出物(スコリア)が堆積しているので『宝永の大噴火』以前に落としていた場合は火山噴出物の堆積で地上に現れることは無いと思う。
宝永の大噴火以降の落し物との判断で良いと思う。
また機会があれば詳細を追ってみたいと思う。