壬生狼一家

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続・寛永通宝


富士山で拾った寛永通寶、一体何年位前に鋳造された寛永通寶なのか調べたくなった。

前にも述べたが、1636年(徳川三代将軍家光の時代)から1868年(明治元年)までの232年『寛永通寶』は鋳造されている。
古いものだと383年前、新しいものでも151年前という歴史を持つ。

まず、簡単に見分けられるのは古寛永通寶と新寛永通寶だそう。
1636年から1667年までに鋳造されたのが古寛永通寶、1668年以降に鋳造されたものが新寛永通寶と呼ぶそうだ。

さて何処で見分けるのか確認すると、寶の字の一番下の部分がスの様な形のものが、古寛永通寶、ハのような形のものが新寛永通寶だという。
改めて、手元の寛永通寶を見てみると、

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スの字の寛永通寶であることが分かる。つまり古寛永通寶であることがそこから読み取れた。

ハの字の寛永通寶はこんな感じになっているのだそうだ。

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1636年~1667年に鋳造されているので383年前から352年前のものだということだ。
徳川三代将軍家光から、徳川四代将軍家綱の時代の寛永通寶ということになる。

少し、時代背景が見えてきた。
じゃあ、383年前から352年前に富士山に登った人が落とした寛永通寶なのかというと多分違う。
富士宮口の直ぐ傍には宝永火口が今でも大きな噴火口を残しているのだが、この宝永火口が出来た『宝永の大噴火』は1707年に起きている。
この噴火で富士宮登山道周辺は50~100cmの火山噴出物(スコリア)が堆積しているので『宝永の大噴火』以前に落としていた場合は火山噴出物の堆積で地上に現れることは無いと思う。

宝永の大噴火以降の落し物との判断で良いと思う。
また機会があれば詳細を追ってみたいと思う。

初めの寛永通寶はこちら