壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

冬山富士山に向かうってことは・・・・俺なりの

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画像,伐菫鉎△郎2鷸?里あった御殿場口の8合目付近の夏の様子。

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今日会社行くと聞かれるわけよ富士山のこと。

片山さんの事、ああだ、こうだと

素人の野次馬野郎は思っているようでウンザリするけど



冬山入る時ってのは良くない事かもしれないけど数%の“死”を意識する。

どんなに経験を積んでもきっと必ず“死”を意識し続けて山に向かうのだと思う。

逆に意識しないほうが危険なのが山だしね。

今回の3人も同様だったと思う。



つまりある意味、冬山富士山登山における“死”っていうのは想定内の出来事だったりする。

どんなに経験を積んでいたとしても冬の富士山での死は0%にはならない。

残念だけど運の要素に大きく左右される・・・


いくら天候を予想して望んでも、あくまでも予想に過ぎない絶対ではないんだしね。

俺なんかは臆病だから運を味方につけてこられただけ。



最後に、入山届けを出してなかったのを罪のように叩いている輩もいるけどさ

俺一度も出したことねぇし、出していればどうこうなるってもんじゃないんだよ。


冬の富士山に入るのに出したほうが俺も良いとは思う。

でもさ、冬の富士山に入っている奴等で入山届けだしているの俺は見たこと無い。

どこに出せばいいのかすら知らない。

ってことは山側のアナウンスが弱いんじゃないの?!



でも御殿場口は俺にとっては鬼門の

信じ難い経験をさせられた“あの世との境界線”のようなものだよ。



分かるかな?、分っかんねえだろうな?!





NETでこんなのが出てたので転載しておく。


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夜明けに下山予定-右京さん遭難の経緯
片山右京さん富士山遭難の経緯
 ▼17日午前6時30分ごろ 御殿場口から3人で登山開始。
 ▼同午後5時ごろ 6合目と7合目の間にテントを張り就寝。
 ▼同8時ごろ 自宅に「山頂には行かず明るくなったら下山する」と電話。
 ▼同11時40分ごろ 2人のテントがないことが分かり、片山さんが捜索開始。
 ▼18日午前0時42分 片山さんから事務所に「テントが飛ばされた。警察に遭難届を出してくれ」と電話。
 ▼同7時36分 片山さん警察に「一緒に登っている1人は死亡したようで、もう1人も危ない」と電話。
 ▼同11時ごろ 片山さん1人で下山開始。
 ▼同午後0時20分 片山さんを救助隊が保護。
 ▼19日午前6時 静岡県警山岳救助隊が12人体制で捜索開始。
 ▼同10時 同県警ヘリが上空から捜索開始。
 ▼午後0時 山岳救助隊が片山さんのテントを目視。
 ▼同0時40分 御殿場口登山道と下山道大砂走りの間、6合目付近で宇佐美さんと堀川さんの遺体発見。
 ▼同1時25分 救助隊下山開始。
 ▼同3時5分 雪のない1600メートル地点まで下山、ヘリで遺体搬送。
 ▼同3時46分 ヘリが自衛隊施設に到着。
 ▼同4時 2人の遺体が御殿場警察署に到着。

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<テレビウォッチ>南極の最高峰登頂を目指して富士山で訓練中だった元F1レーサー片山右京(46)が、同行していた彼の事務所の社員2人を遭難事故のため亡くした。

富士山遭難片山右京 「無謀」だったか議論白熱

番組によれば、2人は体が凍った状態で見つかったという。当時の富士山は想像を超える寒さと強風で、体感温度は-40度に達した可能性があるそうだ。


「宇佐美栄一さん(43)は突然泣き出し、ため息をついて亡くなった」「堀川俊男さん(34)は奇声をあげてパニックになった」と阿部祐二リポーターが説明する。片山の報告によるものだろう。

救助された片山は「悔しいのと申しわけない気持ちだけです。全部自分の責任です。助けられなかった。なんとか担いで下りたかった。力不足でした」と泣いた。

登山家の野口健は「右京さんの責任ではない。上に乗っかって温めたわけでしょう。右京さん自体が凍傷になる恐れがある。自分の身は自分で守らなければいけない。スタッフの死がわかった段階で下山するのは当たり前」と話す。

勝谷誠彦は「右京さんは男としての責任感を見せて危うい状況の中よくご無事だった。生きて帰らなければ遭難の状況もわからなかった。僕個人としてはマスコミの前にさらし者のようにされて気の毒だと思う」とした。

テリー伊藤は「右京さんはこれから富士山を見る度に事故のことを思い出す。十字架を背負うことになる」と、片山の今後に思いを致す。

加藤浩次が「こういう事故が起こることを頭の中に入れておかないといけないということ」と結んだ。

それぞれの遺族が「好きな山で逝くことができてよかった」「喜んで出かけた美しい富士山で仲の良い先輩と最後をいっしょにできたのは幸せであったと思います」と述べているのが悲しい。

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