壬生狼一家

Yahoo!ブログから引っ越ししてきた新参者です。宜しくお願いいたします。

東北ボランティアレポート ~宮城県石巻市~

東北ボランティアレポート 
2011.4.22 - 4.24
 
311以降石巻市内の被災状況は何度テレビで見てきたか分からない。

被災直後の『石巻市立病院』の自衛隊による救出映像などは誰しも
一度は目にしたんじゃないのかな。
 
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そういった映像で見慣れたも光景も実際目の当たりにすると違ったもののように映る。
何が違うのか、空気感、臭い・・・強いインパクトが五感から胸に突き刺さる。
一帯には変な臭いが漂っている。ヘドロの臭いだそうだ。

我々が早朝訪れた日和山公園にはどこの局か分からないが
テレビカメラを据えて市内を映し出しているテレビ局のクルーが数名いた。
その横で我々も市内を見渡していた。
 
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時間にして数十分だったと思う。
その後禅昌寺まで献花に訪れ、祈りをささげた。
今回の震災で犠牲になられた方々が祀られていた。
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祈りをささげ終えるとバスに乗りこんだ。
 
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石巻市南光町でバスを降り、今回のボランティアの注意事項を
伺った後、5~6名ずつの班となり数件のお宅に分かれて
作業を行うこととなった。
注意事項を伺ったお宅には瓦礫が50㎝~150cmほど積み重なり、
門には車二台が逆さまになって潰れたまま瓦礫にまみれている。
全く想像を遥かに超える光景であった。
 
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我々の班は5名1組となり、私はリーダーとして
今回のボランティア作業をさせて頂く別のお宅に向かう。

そのお宅の大きな庭や裏庭は当たり一面瓦礫に覆われていた。
庭には車も数台ひっくり返ったり、スクラップ状態で転がっている。
津波の高さは俺の身長ほどあったそうだ。
 
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作業開始は8:30、あいにくの雨の為
上下登山用GORE-TEXレインコートに身を包み、
安全靴長靴、ヘルメット、ゴム手袋の上に牛皮手袋の二重装着。
まずは重たいもの、でかい物の撤去から開始。
大きなものは木材、家電品、家具などが目立つ。
全てはどこからともなく流れ着いたものだそうだ。
その他には、灯油の入った容器、おもちゃ、飲食物など
様々なものが庭一面に広がっている。

それらのものは30メートルほど離れた瓦礫置き場まで運び
全て積み重ねていく。重たいものは2人、3人、4人がかりで運び出す。
流れ着いた木材は、ほぼ木造の家屋が津波に破壊され
バラバラとなり流れ着いたもののようだ。
到るところに釘や、ネジが付いていて運ぶのも気を付けないと
手袋を貫通しかねない。
 
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ただひたすら流れ付いたモノを瓦礫置き場まで運ぶ。
雨は止む気配がないが、作業していると雨が降っていることが
全く気にならないし、忘れてしまうほどだ。

2時間ほど作業を行った頃に、コーヒーを頂き休憩を取ることになった。
今回作業をさせて頂いている方ともいろいろ話をする機会があった。
よくよく聞いてみると今撤去作業を行っている家の方ではなく、
義理の御兄弟の方だった。
こちらのお宅の方は先般の震災で避難所にてお亡くなりになられ、
亡くなられた方の奥様は震災後入院中だそうだ。

『震災後、家の前には見ず知らずの方の遺体があった』
津波はこの高さまできた』
地震だけなら全く被害がなかった、家の中の物さえ何も倒れていない』
日本製紙の工場のお陰で家が守られた』
『ここから2キロ先まで津波は到達した』

などなど、震災当日から今に到るまで様々なお話を聞かせて頂いた。
 
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休憩を終え、お昼までの作業を再開。
庭の真ん中にある大きな物置が津波に破壊されたまま
変形して作業を妨げている。
この大きな物置の撤去をすることとしたが、工具を持っていないので
拾ったトンカチ、ツルハシなどを駆使して運べる大きさに分解していく。
デカイので捗らない、少しずつ地道に接合部分を外していく。

そうこうしているうちにお昼の時間となった。
他の班のボランティア隊も合流し、
支給されたお弁当とお茶、作って頂いた暖かいお味噌汁を頂く。
何故か食欲がない、あまりの疲れたせいなのか・・・・
それでも時間をかけて完食。

ほかのボランティア隊の活動内容なども聞く。
皆、地味な作業を地道に繰り返しているようだ。
 
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午後の作業を13:00に開始、雨は止まない。
てこずっていた物置を一気に分解し、撤去に成功。

大きなモノがだいぶ撤去されると細々したモノが沢山出てきた。
CD、DVD、レーザーディスク、ビデオテープ、
ぬいぐるみや、プラレール、写真、アルバム、
思い出の詰まった品が多かった。

何しろもくもくと集めては、瓦礫置き場に運ぶことを繰り返していたので
全く気が付かなかったがパトカーが数台スピーカーを通して
『先ほどの地震津波警報が発令されました。高台へ避難して下さい。』
全く地震なんか感じなかったが急いで班員と高台へ移動する。

すでに現地の方々が集っていて、
『いつもなら防災放送が入るのにおかしい』
『なんでちゃんと誘導しないのか』
など、話をしているのが耳に入ってくる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

すると、奥のほうの怪訝そうなおじさんが我々の集っている輪の中を
突っ切って俺の前まで近寄ってきた。
60後半といった風貌のおじさんで完全に現地の方のようだった。

『なんでちゃんと指示出さないんだ!』
何故か俺に怒ってる・・・。

『皆混乱してるだろ、指示しなさい!』
何故俺が?!

『放送はなぜない』
放送?!

きょとんとする俺は
『俺?!なんで?!』


『お前は自衛隊だろ!』

自衛隊って?!』

『お前が自衛隊だろ!!』


俺の仲間たちは
『この人違います、自衛隊じゃありません』

『んん?!、違うのか!』
『紛らわしいんだよ!』

『何が紛らわしいんすか?』

『本当に自衛隊じゃないのか?!』

『ただのボランティアですけど・・』


『何で自衛隊じゃないんだ、ホントか! 紛らわしい・・・・』
といって去っていったおじさん。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


暫く避難しているとパトカーが再度やってきて
津波警報ではなく、高波警報でした』
と回ってきたので現場に戻った。
また同様の作業を繰り返していた。

17時になると作業を終了し、予め指示のあった集合場所まで戻る。
力は出し切った、でも現場は全て片付いたかというとそうはいかなかった。
あと何日、何人の人出があれば元に戻せるのか、
果てしなく先に感じてしまった。

雨はまだ降っていた。軽く汚れを流してからバスに乗る。
17時半、石巻のお宅を出発し、温泉で汚れを流し
一路新宿への帰途となった。
 
最後に明日4/28(木)-4/30(土)まで
今一度石巻までボランティアに
出かけることにした。